論語読みの論語知らず
2015/07/5 カテゴリ:雑感
愛用のThinkpad X240。トラックポイントが気に入っています。フォームポジションを変えることなくカーソルを動かせる。本当にすばらしいです。
そうそう、最近発売したX250はクリックボタンの独立が復活したそうです。左右のクリックとスクロールがトラックパッドと一体化しているX240はユーザーからの支持を得られなかったということなのでしょう。実際、私も使いにくいと思うことがしばしばあります。が、しかし、X240には、トラックパット上のクリックとスクロールの面積を変えられるドライバがダウンロードできるので、それを使うことによって購入当初よりはかなり使いやすさは改善しました。もしかしたらこのドライバのことを知らない方もいるのかもしれませんね。http://support.lenovo.com/jp/ja/downloads/ds034647 ←ここからダウンロードできるので、興味のある方は試してみることをおすすめします。
さて、話は変わって、昨日から「論語読みの論語知らず」という言葉が頭に何度も浮かんでいます。
この言葉、調べてみるとこう書かれています。
古来、儒教の経典である『論語』をしたり顔で語ることはできても、その教えを実践できていない者の愚かしさから、書物を読んでも表面的に理解するだけで真髄をわかっていない人をあざけっていう言葉。(出典:故事ことわざ辞典http://kotowaza-allguide.com/ro/rongoyomi.html)
本で知ったことを実践するのは並大抵のことではありません。私もそれを実感していますし、前述の「『論語』をしたり顔で語ることはできても、その教えを実践できていない者の愚かしさ」という言葉に心が痛みます。しかしながら、本を読むのは人生を豊かすごすためのこと。その意味で、今一度「論語読みの論語知らず」という言葉を胸に刻みたいと思います。